切通陣屋

別名 長森城  付近住所 岐阜県岐阜市切通6 現在 切通観音
2008/9/15 碑・案内板アリ 日本城郭大系


土岐氏

安藤氏
 宝暦5年(1755)安藤信成は、父信尹の跡をつぎ加納藩主となったが、翌6年陸奥磐城平に移封となった。
 これは信尹の不行跡にともなう、幕府の処置としてなされたものであった。
 その後老中信成は、享和3年(1803)11月、美濃国内で1万8千石余(厚見・方県・葉栗・本巣、四郡の一部)を加増され、再び美濃との関係をもつにいたった。
 平藩は、美濃領支配のため切通村に陣屋を設け、郡奉行二人、代官四人、与力五人、同心五人など二十二人ほどが詰めていた。
 平藩による支配は、飛び地支配のため問題が多く、文政8年(1825)には長森騒動が起きている。
 切通陣屋は、安藤氏7代にわたり67年に及ぶ支配をおこなったが、明治に至り廃藩と同時に廃止され、笠松県に統一された。

切通観音は長森城跡
商店街の続く街中に切通観音がある。ここは江戸時代、平藩(福島県いわき市)安藤氏が切通陣屋を置き、このあたりを始め方県郡、本巣郡の自領を支配していた。安藤氏は平に移封以前は加納藩主だった大名だ。
ところで、ここはまたかつて長森城があった所と伝えられ、川手城(岐阜市)に移るまでは美濃源氏の嫡流土岐氏の居城だった。